memory 2-2 ――相変わらず無茶な力の使い方をする。だから気絶してしまうのだぞ 白い夢の中で、ラスターがミサキに話しかける。 ――過信はするなと言ったはず。強大な力を使うには代償がいる。それは時におぬしの命が代償となろう。何故それがわからぬ 「助けたい。そう思ったから力を使った。それの何が悪いの」 ラスターは理解できない、といったような驚いたような、複雑な表情をした。 「私が力を持ってる限りは、できる事をしたい」 ――解せぬ 白い世界は霧散する。まるでそんなものは元から幻想であったかのように。白が剥がれて黒が現れ、そしてミサキは闇に飲み込まれていった。 ミサキは規則的に揺れる背に身体を預けていた。ふわふわとした緑の髪が、ミサキの頬を擽る。 「……ゼノア」 「おお! ミサキちゃん! 大丈夫? 心配したよ!」 ゼノアイナが大袈裟なくらいに声を上げてミサキを静かに下ろしたと思ったら、そのままの勢いで正面から抱き付いた。 「本当良かった、安心した!」 「う、苦しい」 「お兄ちゃん」 珍しく声を上げたヴィリアンが、ゼノアイナの服の裾を掴んでいた。 「あ、ごめん! 嬉しさのあまり、つい」 ゼノアイナはまた勢いのままに離れる。 「ううん。ありがとう、背負っててくれて」 「当然だよ」 ヴィリアンが変わらずゼノアイナの服の裾を掴んでいる。獲物を静かに狙う野獣の牙のような視線の先にはミサキがいた。 それに気付いたミサキが僅かに後退する。ミサキの脳が、警笛を鳴らしている。ヴィリアンの持つ魔物を威嚇するように、大きな音でずっと鳴っている。ミサキは堪らずまた一つ後退するが、しかしゼノアイナが距離を詰め、その両手を握った。 「オレがいるから安心していいよ。何でも頼ってね!」 「あ……ありがとう」 ミサキはゼノアイナの後ろで殺気を漲らせているヴィリアンを気にしながら、また後退しようとする。しかし手を握る力が強すぎて、それさえ許されなかった。だけど無理矢理に彼の手を払う気にはなれなかった。もしかしたら、彼の手が存外に温かかったからかもしれない。ここは肌寒いから、他人の体温が心地良いのかもしれない……どこにもそんな事を考える余裕なんてないはずなのに、ミサキは漠然と思う。それでも鳴り響く音はどんどん痛みへと変化していく。頭がずきずきと痛み出していた。 「顔色が良くないよ。手もこんなに冷たくなって。大丈夫? 温めてあげようか?」 「ありがとう。気持ちだけ受け取っておくね」 頭痛はするのに不思議と、身体はそこまで重くないように感じた。三人と自分をこの洞窟まで瞬間移動させるなんて、大きな力を使っておきながら……ミサキは考えるが、しかし、更に酷くなり始めた頭痛がそれを許してはくれなかった。 「何を遊んでいるのですか。早く行きましょう」 だからレイが助け舟を出してくれたように感じて、ミサキは嬉々としてレイの後に続いた。急いだ方がいいのは事実。いつまでもこんな寒い洞窟にいたならば、風邪を引いてしまうだろう。 彼らが暫く進むと、ひらけた場所に出た。天井も地面も遙か遠くにあり、頼りない電球ではまるで光が届かない。薄暗い闇は恐ろしく、何もかもを呑み込んで消し去ってしまいそうだった。 その中で道を結ぶ頼りない岩橋だけが、外へと続く正規のルートである事を示しているようだった。走ってしまえばあっという間の距離しかない橋だ。慎重に渡れば何の問題もない長さだった。 「うっわー。落ちたらお終いだな。ヴィリアン、先に行くんだ。それなら落ちそうになっても助けられる」 「大丈夫です。早く行きましょう」 レイは少しも怖がる様子を見せずに岩橋を渡り終えて振り返ると、いつも通り冷めた顔で三人を待っていた。 「ミサキちゃん、大丈夫? 怖かったらオレの手を握ってていいよ」 「ありがとう。でも大丈夫だよ」 「それは残念」 そんな会話を背中に聞きながら、ヴィリアンは足早にすたすたと石橋を渡り終えた。彼女は岩橋など怖くはなかった。下に広がる暗闇も怖くない。もし落ちたら、なんて可能性など考えていない。彼女の後ろには、愛する兄がいるのだから。 ヴィリアンは後ろを振り返る。彼女の薄い唇が動いた。ゼノアイナは彼女が自分を応援してくれてるのだと思い、笑顔を見せる。ゼノアイナとミサキが少しで渡り終える、という所でガラッと音が響いた。小さな音だったが、そこにいた全員の耳には大きな音のように聞こえた。 「えっ」 ミサキの声が響く。ゼノアイナが振り返る。彼女の足元の岩橋が半分崩れ、今まさに、ミサキは落ちようとしていた。 「ミサキちゃん!」 ゼノアイナは危険を顧みず、ミサキに手を伸ばす。その手が彼女の腕を掴んだ――しかし岩橋は更に崩れようとしていた。 「ミサキ!」 その時、レイは初めて彼女の名を呼んだ。今の彼女は力を使えない。腕輪の光が回復していない。レイは絶望を見た。 ――今更何も、間に合わない! 崩れる岩橋は元になど戻るはずもない。まるでそれはスローモーションのようにゆったりとした時間のような気さえした。ゼノアイナはミサキを抱き締めて守るようにし、そして、墜ちた。 ミサキは魔法を創造しようとする。しかし、腕輪は光らない。光があまりに足りない。それでも想像する。目を瞑って真剣に、祈るように。最後まで諦めまいと。ゼノアイナを助けなければ、と。ゼノアイナの腕の中でミサキは祈り続ける。ラスターに助けを求めるように。 突如二人から光が弾けると、それは巨大な羽根を形作った。そして二人を守るようにして広がる。墜落のスピードが緩み、舞い降りるようにゆっくりと下がっていく。 「光の羽根……?」 這い蹲って下を見下ろすレイに対し、ヴィリアンは少しも動かずに下の様子を見ていた。その表情はいつもと同じようでいて、しかし、複雑な何かを内包していた。 光の羽根は何事もなかったかのように弾けて、消えた。洞窟内は元の薄暗さに戻る。 「助かった、のか?」 レイはしかし、動けずにいる。僅かな照明の光で遙か下の二人の姿を確認するなんて、不可能だった。 「おい! 無事なのか! 返事をしろ!」 レイは下にも聞こえるように、大声を出した。 「へーいーきーだーよー!」 ミサキの声がそれに応える。レイは盛大に溜息を吐くと、まるで何事もなかったかのように立ち上がった。そしてヴィリアンに対し、刺すような視線を放った。 「貴様は自分の兄の危機に対して随分平然としていられるのだな」 ヴィリアンは慄く素振りもせず、感情の見えない瞳をレイに向けた。 「お兄ちゃんは死んだりしないもの」 それだけ言うとヴィリアンはレイに興味を失くしたように視線を逸らした。見ている先は遥か下。彼女の兄が落ちた辺り。 何の根拠もない言葉。彼女の、兄に対する絶対的な信頼。レイはこれ以上の追及は無駄だと悟った。彼女は同じ事しか言わないだろう。それにレイも、ミサキの事が気に掛かって、これ以上彼女の事を気にしている余裕はなかった。 ミサキは未だに何が起こったのか理解できずにいた。とにかくゼノアイナも自分も無傷でいる。それだけで十分な気がした。 「ごめんね、ゼノア。私の不注意のせいで巻き込んじゃって」 続けようとするミサキの唇にゼノアイナは人差し指を当てる。彼女は反射的に止まった。 「そういうのはナシ。無事だったんだからいいの」 ゼノアイナはにっこりと笑ってみせる。 「こういう時はね、ごめんねじゃなくてありがとうって言うんだよ……ってオレ、一緒に落ちちゃっただけだけどね。あはは、かっこわる」 彼の人差し指が離れると、ミサキもつられて笑う。腕輪の僅かな光だけが頼りの寂しい空間なのに、だけどそこは暖かい空気が漂っているようだった。 「ふふ、ありがとう。ゼノア」 ゼノアイナはその場に座る。ミサキもそれに倣うように隣に座った。 「腕輪の光がもうちょっと増えたら上へ行けると思う。だからちょっとだけ待っててね」 腕輪の光は頼りない程に少ない。ミサキはゼノアイナと会話しながらも、頭の片隅で思う。この腕輪の光だけでは本来、無事では済まなかったはずだ。願いがラスターに通じ、奇跡が起きたのだろうか。真実を聞きたくて、彼女は先程から心の中で腕輪に呼びかけていた。しかしラスターは一向に応えず、姿を現さなかった。 「オレはしばらくこのままでもいいな」 「何で?」 「ミサキちゃんと二人きりでいられるから」 ゼノアイナはミサキを覗き込むと、破顔する。 「でも二人とも待ってるよ。ヴィリアンはきっと、ゼノアの事すごく心配してるよ」 「あはは。ミサキちゃんは優しいね。心が全く穢れてない」 彼はぐっと上体を逸らす。手を後ろにつき、天井を仰いだ。闇の中から鋭く突き出している無数の岩は、古くからずっとそこにあったのだろう。根元からポキリと折れて、二人を串刺しにしてしまってもおかしくはない。 ゼノアイナは顔から笑顔を逃がすと、少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。 「オレとは大違いだよ」 ミサキは彼の顔を見ただけなのに、胸の奥にちくり、と痛みを感じた。 「ゼノアは優しいよ。とっさに私を助けようとしてくれた。簡単にできる事じゃないよ」 「一緒に落ちちゃったけどね。助けられちゃったわけだし」 「だから助かったんだと思う」 ゼノアイナはミサキを一瞥しようとだけしたが、彼女の真摯な眼差しから目を逸らす事はできなかった。丸い瞳は彼が逃げる事を許さなかった。 「ゼノアが居てくれたから、こうやって助かった。確かにゼノアが助けてくれたんだよ」 一瞬だけ、ゼノアイナは泣きそうな顔をした。しかし彼はすぐに顔を逸らしてしまう。ミサキは無理に顔を覗き込もうとはしない。 「ごめん」 彼の謝る理由がミサキにはわからなかった。掛ける言葉も見つからない。ならば、とミサキは彼の肩に優しく手を置く。ゼノアイナは一瞬だけびくり、と肩を小さく跳ねさせた。 「優しくされると勘違いしちゃうよ? これ以上好きになっちゃったらどうするの〜」 ゼノアイナは冗談のつもりで、表情に笑いを交えながらミサキに向き直った。しかしミサキの表情を見たゼノアイナは、その作り上げた笑いを一瞬にして凍らせ、崩落させた。ミサキはまるで冗談の通じる顔をしていなかった。 「私は好きだよ、ゼノアの事。みんなに優しくて、さり気無く周りを気遣ってる。すごいよ」 彼は閉口する。虚飾も何もない、素直な彼女の言葉。あまりにストレートで、恥ずかしいくらいの言葉。 「私は素性もわからない怪しい人間だし、腕輪の力くらいしか取り得がないから。誰かに好かれるのって嬉しいよ」 ミサキは少しだけ照れたように笑うと、その手をそっとゼノアから離した。 「時々ね、時々っていうかいつもなんだけど、どうして私がこの力を使えるんだろうって思うの。本当に必要な人達っていっぱいいるでしょ……ってこの世界の事もわかんないんだけど」 ゼノアイナの顔からは普段の明るさなどは一切消え失せていた。真摯な瞳だけがじっと、不思議そうにミサキを見ている。 「だから、どうせなら誰かの為に役に立ちたいって思ってるの。ゼノアが危なくなったら、今度は私が命をかけてでも助けたい」 ゼノアイナは静かに聞き続ける。表情を変えずに、じっとミサキを見続けている。 「それだけが今の私にできる事だから」 ミサキはそれに応えるように真っ直ぐにゼノアイナの瞳を見た。強い意志を秘めた丸い瞳は、ゼノアイナの双眸を捕らえた。しかしすぐにその目線は外され、顔までも背けられる。 「無知なだけなのか、或いは、君は……」 「え? ごめん、聞こえなかった」 「ただの独り言。何でもないよ」 それだけ言うと、ゼノアイナは何かを考え始めたかのように大人しくなった。ミサキも何が何だかわからなかったが、話しかけようとはしなかった。 腕輪の光は、彼らに同情を寄せるかのようにすぐ増えた。 二人は大きめの岩に乗り、それを浮かべて上へと戻るのだった。レイもヴィリアンも無表情、もしくは不機嫌そうにミサキとゼノアイナを迎える。せっかく無事に二人が戻ってきたにも関わらず、何故か空気は重たかった。ゼノアイナが気を利かせてあれこれと喋っていたが、やがて諦めて黙り込んでしまった。それにミサキが気付いて、やんわりと慰めた。 「みんな疲れてるんだね」 「ミサキちゃんは偉いよ。愚痴らないし、顔にも出さないし」 「ゼノアのおかげだよ」 二人はぽつぽつとお互いを慰め合う。ハプニングとは言え二人きりで話す場ができた事により、距離が縮まったのだろう。以前より仲良くなったようだった。 ただ、無理して笑おうとするゼノアイナの顔に映る疲労の色は隠し切れてはいなかった。 「少し、静かにして頂けますか」 だからレイがそう言った時、ミサキは腹の底から込み上げてくる怒りを抑え切れなかった。 「何でそんな事言うの」 「考え事をしている。耳障りなんだ」 「勝手に考えてればいいじゃん。さっきからイライラして。ゼノアはこんなに気を遣ってくれてるのに」 ミサキはレイに詰め寄る。レイは眉根を寄せ、不快感を露にした。 「……お前に何がわかる!」 レイはいよいよ声を抑えられなくなっていた。ミサキはいつの間にか、彼の怒りの導火線に火を付けてしまった。 「何もわかんないよ! だってレイは何も言わないじゃん!」 「何故貴様に言う必要がある!」 ミサキは言葉に詰まる。確かに、それを言われてしまえば弱かった。言う必要など何処にもないのだ。況してや、素性すらもわからぬ少女になど。 つまりそれは、レイがミサキを信用していない事に繋がるようなものだった。彼の性格を考えればそれだけが原因とも考えづらいのだが、今のミサキには堪えた。ミサキにとっては“お前など信用していない”、と切り捨てられたようなものだったから。 「レイ君、少し落ち着いて。せめてもうちょっと言葉を選ぼうよ」 「何故ですか。本当の事じゃないですか」 ミサキはレイの顔を見る事ができずに俯いていた。そうだ、任務だから一緒にいる。仕事だから仕方なく。嫌々……。そんな事はわかっていたはずだ。元よりそういう約束だったではないか。今更何を落ち込んでいるんだろう。ミサキは思う。 「ミサキちゃん」 ゼノアイナの声に、ミサキは沈んだ顔をそっとあげる。 「ミサキちゃんさえ良ければ、オレ達と一緒に来ない? もし無理してレイ君達と行動を共にしているのなら、こっちに来てもいいんだよ」 「ゼノア……」 ゼノアイナはふわりと笑った。ミサキは安心する。ゼノアイナの笑顔を見ると心が穏やかになる。波立ってささくれだった心さえもなだらかにしてくれる気がするのだ。首を縦に振ってしまいそうになる。一緒に行きたい、と言いたくなる。優しいゼノアイナと一緒ならこんなにも落ち込んだり悩んだりしないのに、と思ってしまう。でもミサキにはできないのだ。恩人を無視して、ゼノアイナについていく事など。だとしても、そのゼノアイナの気持ちが嬉しかった。 「ゼノアイナさん。それは困ります」 しかし、束の間に訪れた彼女の平穏はあっさりと壊されてしまった。 「そいつは連れて帰らないといけません。任務ですから」 レイからの決定打だった。そんな事言われなくてもわかってる、とミサキは言いたかったが、何故か声にできなかった。わかっていても、言葉にされると辛かった。 ミサキはレイに信頼を寄せている。レイがミサキに対して最初から不信感を抱いていなかったと言うのは無理があるだろう。ただ、窮地も共に乗り越えたこの日々に彼が何も感じてないと言うのなら――それは、胸を抉られるような悲痛をミサキに齎した。 彼女の心は強い。だが一度傷付いてしまえば、中からぼろぼろと崩れていく脆さも兼ね備えていた。でもミサキは耐えなければならない。軽く笑って流して、レイにもゼノアイナにも何も感付かれてはならない。――ミサキは、彼らにこれ以上の心配や迷惑を掛けたくなかった。 「あはは、ゼノアと一緒なら楽しいかもね」 だからミサキは笑う。誤魔化す。果たしてそれが彼らの目を欺けたかと言えば、否。でも誰もが不用意な言葉を掛けたりしなかった。 120724 |